関東大震災の真実 後半

10月20日にようやく報道規制が解除され、新聞は真実を掲載し始めた。報道されてきた幾多の犯罪は、事実であることが記載されている。

読売新聞 大正12年10月21日

「震災の混乱に乗じ、鮮人の行なった凶暴」

「略奪、放火、殺人、凶器、爆弾、毒薬携帯、中には婦人凌辱もある」

当局が新聞記事を差止めた為、常時記載する事ができなかったが、事件は二十日ようやく報道の自由を得た。下段には、四ツ木朝鮮人が少女を輪姦した上に殺害し、荒川に放り投げ逃走したという恐ろしい内容が記載されている。

東京時事新報 大正12年10月22日↓

「関東一帯を騒がした鮮人暴動の正体はこれ 」

「放火殺人暴行略奪につぎ橋梁破壊も企てた不逞団」(記事差止め昨日解除)

一部の不逞朝鮮人が混乱裡に左の如く有ゆる犯行を逞ふした事は事実で、司法当局は爾來 極力是が犯罪検挙に努めた結果昨廿日一先づ取調べを終り、同時に記事差止めを解除した。既に起訴されたもの十数件、此外治安警察法違反、窃盗、横領等により起訴した鮮人二十三名、放火、毒薬投入、爆弾携帯、掠奪、婦人に対する暴行その他の事件につき、東京横浜に於て捜 査中のもの亦少なくない。

「現代史資料6関東大震災朝鮮人

「また社会主義者は市郡に居る大多数の鮮人や支那人を煽動して、内地人と争闘をなさしめ、そして官憲と地方人との乱闘内乱を起させようと努めて居る許りでなく、多数躍災民の泣き叫ぶのを聞いて、彼等は革命歌を高唱しているので、市民の激昂はその極に達している」(現代史資料6関東大震災朝鮮人より)

「革命歌を高唱」は、社会主義者共産主義者の行動を的確に捉えている。共産主義者朝鮮人が結託し、関東大震災に乗じてテロ行為を起こした事実を隠すため、風評により朝鮮人が殺害されたと言いふらした吉野作造は、大正時代に日本の社会、共産主義の土台を作った学者で、関東大震災朝鮮人が暴動、放火を行ったのはデマだと捏造した。

関東大震災前の日本は、激動のさ中にあった。大正天皇のご病気が噂され始めた1917年10月、ロシア革命が起きて日本でも社会主義共産主義が勢いを得た。ロシア革命の成功から共産主義政党による国際組織のコミンテルン創立の流れの中で、韓国で日韓併合に反対する「三・一独立運動」が起きた。暴動は鎮圧されたが、独立運動家の一部は日本に密入国し、朝鮮独立と共産主義運動の拡大を目指し、日本で朝鮮人の犯罪が新聞に載らない日はないくらい、活動資金調達のための現金強奪事件、首相官邸の爆破襲撃未遂事件などが多発した。

1921年11月4日、原敬首相が東京駅で暗殺され、その直後、大正天皇のご病気の発表と同時に、皇太子裕仁親王摂政とする詔勅が出された。原内閣のあとを引き継いだ高橋是清内閣も翌年6月、閣内不統一によりわずか半年足らずで瓦解。後継の加藤友三郎首相は8月24日に急死。次期首相には大地震の4日前の8月28日午後、海軍大将山本権兵衛に二度目の大命が下った。

地震発生直後から自警団が組織されたのは、そういう社会不安が背景にあったが、自分の町内は可能な限り自力で守る伝統は、江戸時代の「自身番」からつ続く日本の慣習で、そこへ朝鮮人襲撃の情報が入ってきたので、自衛に立ち上がるのは当然であった。

朝鮮人過激派は皇太子を暗殺し、一斉に暴動を起こし、日本の国体を揺るがせて独立運動勝利に結びつける計画を練った。政府はこの計画を知っており、警戒を強めていた。ところが、まだ計画準備が整わない9月1日に大震災が発生。本所深川あたりから避難してきた罹災者約3千名が集まっていた越中島の糧秣廠(りょうまつしょう)を爆破し、多くの避難民を殺害して逮捕された朝鮮人テロリストの証言によると、目標は11月27日の御大典(即位の礼)だったが、大震災が起こって予定通り行われるかわからなくなったので、大震災という好機を逸すべからずと決断したとのこと。同様に「目標は御大典だったが、大震災に乗じてことを起こした」と自白したテロリストは随分多かった、とのこと。

9月3日、戒厳令発令直後の東京淀橋警察署は、朝鮮人無政府主義者朴烈とその愛人金子文子を逮捕した。朴烈は、震災で延期された御成婚の折に皇太子と政治経済界の大物たちを爆殺する計画を立てていた。このような計画の背後に支援組織があった、と考えるのが当然である。黒龍会の主宰者内田良平は、震災時における朝鮮人の謀略をいちはやく告発した人物である。内田良平は初代朝鮮統監の伊藤博文に随行し、韓国統監府嘱託となった人で、政府に告発した文章の中で、朝鮮独立運動家の背後にいるのは社会主義者であり、日本の赤化運動を狙うロシアが日本の社会主義者朝鮮人を扇動し、社会主義者朝鮮人は気脈を通じ合っていると指摘した。

その言葉通り、大震災のニュースを聞いた朝鮮の過激派労働者集団は「共産主義を鼓吹する者及之等に依り組織せられたる各種の労働団体は、今次の震災は地震の被害より之に伴ふ火災の損害が最甚大なる模様なるが、火災は我等と志を同ふせる主義者同人が革命の為放火したるに因るものなり」と喜んだとのこと。(「現代史資料6」)

朝鮮人の武装テロ組織「義烈団」の団長金元鳳(キム・ウォンボン)は、震災の8日後の9月9日、日本の民心動揺を好機ととらえ、部下を集めて天津から東京へ向かわせた。「義烈団」は保管していた爆弾50個を、安東(アンドン・韓国慶尚北道の日本海に近い都市)に発送したという情報を警務局が入手した。

市民に厳重な警戒を求めるよう報道を指揮してきた内務省が、震災翌日には風向きが変わり始め、最初の異変は「東京朝日新聞」の4日付手書き号外に現われた。「武器を持つ勿れ 朝鮮人は全部が悪いのではない。鮮人を不当にイヂメてはならぬ」ほぼ同じ内容の「善良な鮮人を愛せよ」という告示が翌朝、他紙にも掲載される。これらの記事で、朝鮮人の襲撃がなかったとは一言も書いていないが、戒厳令が発令された以上は軍に任せて市民は武器を持つな、善良な朝鮮人もいるのだから、そういう者は敵視するなという限定した意味が込められている。初めは緩やかな表現だったが、それが一転、強制力をもった指令の形をとるようになった。9月6日に「三大緊急勅令」なるものが公布され、朝鮮人襲来記事を流布すれば処罰するという強硬手段に出た。

同時に一般朝鮮人への保護具体策が次々にとられた。市内の朝鮮人を千葉県習志野、及び下志津の兵舎に収容し、衣食住と医療を安定させた。ところが、それを歩かされて「強制連行」されたと主張する史料が多いとのこと。実際には朝鮮人がテロを起こして暴動のさ中に、自動車などあるはずがない。市民への食糧、医薬品、警備に使う車さえこと欠いて、日本人は誰もが歩いていた!

新聞は手のひらを返したように、「鮮人団相愛会が無償で道路工事 誤解をとく為に奉仕」「鮮人に救はれた老婆」などという朝鮮人の“美談”を載せ始めたが、「道路工事」というのは要するに道路の障害物を取り除く作業で、日本人なら震災のあと片付けを有料でしないで無償で進んでやるわい!

こうした一連の措置は、内務相兼帝都復興院総裁に就任した後藤新平の発案によるものだった。後藤新平の決定は、朝鮮人の暴動があったのは事実だが、自警団が力で押し潰せば、朝鮮人の報復の矢先が皇室に向くと大変なことになる、と皇太子暗殺を懸念した結果だが、それが「朝鮮人の暴動はなかった」「流言蜚語に惑わされた日本人に朝鮮人が殺された」という捏造にすり替えられたのは言語道断である!

共産主義者朝鮮人が結託して関東大震災に乗じ、暴動、破壊のテロ行為を起した。その事実を隠蔽するため、吉野作造共産主義者社会主義者朝鮮人が暴動はデマ説を流して、朝鮮人が日本人により虐殺されたにすり替えたのが真実である!

では実際は、朝鮮人の死者数はどのくらいだったのか。

東京の総被害状況

死者 58104人(本所・深川両区の死者51168人)

全半焼家屋 1,383,849戸

倒壊家屋(焼失しなかったもの) 11842戸

行方不明(大正14年5月現在) 10556人

内務省調査資料「東京府大正震災誌」など)

震災当時の東京の人口、及び在日朝鮮人の人口

東京市15区部人口 約226万5千人

郡部人口 約174万人

合計 約405万人

全国に在日した朝鮮人人口80617人

内務省警保局統計)

震災時の東京の在日朝鮮人の数は、政府の計算で約9千人(労働者6千、学生3千)とされていた(「現代史資料6」朝鮮総督府警務局文書)。横浜ほか東京近県に3千人が住んでいたので、合計1万2千人。夏休みで帰郷していた学生がこの内2200人(東京1800人、その他400人)と推定され、差し引き9800人が東京、横浜附近にいた。これは多くの関係資料が認める数字である。

朝鮮独立運動家が結集していた上海の、大韓民国臨時政府発行の機関誌「独立新聞」が報じた朝鮮人死者数6,419人は、虐殺人数の原典扱いされているが、これは「屍体を発見できなかった同胞」2,889人としている。行方不明者は必ず殺されたと言うのは非論理的で、震災による圧死か、焼死と考えるのが妥当である。

「屍体を発見した」とされる1,274人も、殺されたのか震災による死亡かをどのように判断したのか。どうやって日本人と朝鮮人の死体を見分け、どうやって数えたのか全て不明である。「同胞同志の勘で被害者を集計したものもある」と、ある調査員が告白しており、勘とはいい加減も甚だしい!学生を中心とした「在日本関東地方罹災朝鮮同胞慰問班」に所属する崔承万(チェ・スンマン)の調査によれば、虐殺された人数は「2,607人または3,459人」となっている。「または」という根拠薄弱な表記や、500人、80人、200人といった大雑把な内訳の数字からも、信憑性を疑わざるを得ない。共産主義吉野作造が主張した2,613人という数字は、崔承万の調査を基にしていた。

工藤美代子氏がロンドン・ナショナル・アーカイブスから発見した資料は、横浜の英国総領事が郵送で受け取った「朝鮮独立運動朝鮮人」発行の小冊子とチラシで、そこには関東大震災時に23,059人が虐殺されたと記載されていた。この異常な数字から、慰安婦強制連行のプロパガンダさながら、朝鮮人が日本を陥れようとしていたことが伺える。もっとも、「(その内容は)筆者によって著しく誇張されており、日本の当局が虐殺を煽動したという筆者の指摘には根拠がないと考えます」という在京イギリス大使の添え書きがあり、まともに受け取られなかったようだ。

前述したように、震災直後に東京とその周辺にいた朝鮮人の数は9,800人。そのうち3,169人が習志野の陸軍廠舎に、2,500人が市内各警察署に、617人が目黒競馬場に、471人が埼玉・栃木の各警察署に、40人が神奈川県庁にそれぞれ収容保護されていた。この合計が6,797人。収容中の待遇に不平不満を言いつのり「飯がまずい」「強制連行された」「扱いが乱暴だった」と口々に文句を並べた記録が残されている。しかし、保護された朝鮮人は食糧を与えられ、テントで雨露がしのげた。一方、被災した日本人の大多数は野宿をしたり、食糧も不足し、トイレもない生活を強いられていたのである!

戒厳令司令部は自警団等による過剰防衛容疑の日本人367人を起訴し、その調査に基づいて、殺害された朝鮮人は233人であると公表。更に、朝鮮人と間違えられて殺害された日本人57名、中国人4名となっている。東京とその周辺にいた朝鮮人9,800人からこの死亡者数233人を引くと2,770人。この中には、震災の犠牲になった者と行方不明者が含まれる。

東京府全体の死者、行方不明者は7万人余(死者総数は10万5千人余)、下町界隈の死者は実にその80%といわれ、朝鮮人も多く居住していた本所、深川一帯での死者、行方不明者は5万8千人を超えている。本所区深川区における日本人の対人口死亡率は約15%に上った。多くの朝鮮人の家屋は耐震性も低く、劣悪な環境と推察されるので、それより多めの20%を対人口死亡率とし、被災基礎人口9,800人に乗ずると、1,960人という数字が死者、行方不明者として算出される。

2,770人からこれを引けば810人となり、これがテロリストやその賛同者、付和雷同して殺害された人数と推定したとする。収容保護された6,797人、政府発表の被殺害者数233人に加えて、「独立新聞」の主張する被殺害者数6,419人を加えてみると、それだけで13,449人になる。13,449人の朝鮮人が「殺害ならびに強制連行された」とすると、9,800人を遥に超えるので、関東大震災によって死亡した朝鮮人は一人もいないことになる。崔承万の調査による2,607人を加算しても9,613人となり、震災による朝鮮人死者はやはりほとんどいないことになる。

吉野作造を初めとして「朝鮮人虐殺」を糾弾した学者や作家たちは、この不整合な数字をどう説明するのか。特に韓国人、朝鮮人諸君は、整合性のある説明をしなさい!

当時の記録によれば、「明治大正60年史」(1956年、毎日新聞社)では朝鮮人死亡者は数百人となっている。「朝鮮人虐殺関連官庁資料」によれば、朝鮮人被害者死亡231人、重軽傷43人。「関東戒厳司令部詳報」の兵器使用調査票によれば、震災後一週間の「治安維持のため」の朝鮮人殺害254人、日本人殺害27人である。

自警団は自らの命をかけて、民族独立のため皇太子暗殺さえ計画した朝鮮人テロリストの襲撃から町を、家族を守った。そうでなければ、組織的な主義主張をもって日本を大混乱に陥れようとするテロリストたちに組み伏せられ、町の破滅が国家への破滅へと進んだに違いない。これは正義の戦いだった。「朝鮮人虐殺」という謀略宣伝から日本人は自由になるべきだと、工藤美代子氏は言う。

1923年11月23日、新嘗祭において祭祀が行なわれた際、警備の武官たちは儀礼用のサーベルではなく、太身の日本刀に替えるよう奈良侍従武官長から命じられ、まだ安全ではなかったことが伺われる。12月27日、第48回通常国会の開会式に臨むため議事堂に向かう裕仁親王を乗せた車に、男がステッキに仕込んだ散弾銃で発砲。「革命万歳」と叫び逃走を図ったが、現行犯逮捕された。犯人は共産主義者の難波大助で、死刑を宣告された際、「日本無産労働者、日本共産党万歳、ロシア社会主義ソビエト共和国万歳、共産党インターナショナル万歳」と三唱した。

この事件をきっかけに、震災特別内閣ともいえる山本内閣は総辞職し、その使命を終えた。日本の国体を破壊しするコミンテルンの方針の下に、関東大震災に乗じてテロ集団がテロを起こしたというのが真実である。日本人が朝鮮人数千人を虐殺したという数字の根拠は皆無で、単なる謀略宣伝にしか過ぎないのである。

関東大震災朝鮮人暴動は『皇太子暗殺』を狙ったテロだった。流言飛語ではなく実話!」  工藤美代子著(歴史通 2012年1月号ワック出版)

http://d.hatena.ne.jp/hannitigaku20/20120216/p1

「通りすがりの三国人」による正しい歴史認識

https://ameblo.jp/sinesayoku/entry-10260524567.html

神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 災害および災害予防(4-300)

http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10069764&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1

朝鮮人虐殺はなかった論のトリック」も参照↓

https://togetter.com/li/779325

日本人差別法「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」の廃止をめざすブログ

http://wasavi0032016.hatenablog.jp/entry/2016/09/18/000907

関東大震災朝鮮人暴動の真実!!

http://ccce.web.fc2.com/sinnsai.html

「美しい日本の未来を創造しましょう」

関東大震災」における「在日武装蜂起」=「朝鮮人大暴動」を振り返る。「朝鮮人」の背後では「共産党」が暗躍!自警団を悪者にし「朝鮮人虐殺説」を広めたのは「後藤新平」だった!↓

https://jut-zero.wixsite.com/social-media-blog/single-post/2016/06/11/%E3%80%8C%E9%96%A2%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD%E3%80%8D%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E3%80%8C%E5%9C%A8%E6%97%A5%E6%AD%A6%E8%A3%85%E8%9C%82%E8%B5%B7%E3%80%8D%EF%BC%9D%E3%80%8C%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E5%A4%A7%E6%9A%B4%E5%8B%95%E3%80%8D%E3%82%92%E6%8C%AF%E3%82%8A%E8%BF%94%E3%82%8B%E3%80%82%E3%80%8C%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E3%80%8D%E3%81%AE%E8%83%8C%E5%BE%8C%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%80%8C%E5%85%B1%E7%94%A3%E5%85%9A%E3%80%8D%E3%81%8C%E6%9A%97%E8%BA%8D%EF%BC%81%E8%87%AA%E8%AD%A6%E5%9B%A3%E3%82%92%E6%82%AA%E8%80%85%E3%81%AB%E3%81%97%E3%80%8C%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E8%99%90%E6%AE%BA%E8%AA%AC%E3%80%8D%E3%82%92%E5%BA%83%E3%82%81%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%AF%E3%80%8C%E5%BE%8C%E8%97%A4%E6%96%B0%E5%B9%B3%E3%80%8D%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F%EF%BC%81

「かつて日本は美しかった」